落ちこぼれ企業研究者の読書記録

プライベートも仕事もボロボロで生きる気力は減ってますが、本は読みたいです笑

File.1 悪癖の科学

書名: 悪癖の科学

著者: リチャード・スティーヴンス

出版社: 紀伊國屋書店

読む価値: あり

蔵書する価値: なし

 

【書評】

セックス、酒、悪態、危険運転。いわゆる逸脱行為、嗜癖の話。なぜそんなバカげたことするのか。原因があるから結果がある。だからサイエンティフィックに考えよう。そう「いけない」ことすると報酬としてエクスタシィを覚えたり脳が喜ぶらしい。生理学や臨床実験を通じて本書は証明してく。結局、本能と倫理はバランスするのかって話だけど、置かれた状況によってブレるよ、そりゃ。行動の始源点なんてのは時系列で変化してくしね。最後の章は臨死体験の話。どうやら脳の錯覚っぽい。でも、死の直前の感覚は、絶望ではなく、愉楽らしいです。どうなんだか。

 

悪癖の科学--その隠れた効用をめぐる実験

悪癖の科学--その隠れた効用をめぐる実験

 

 

 

仕切り直し

あけましておめでとうございます。

瀬田有哉です。

思いついたようにはじめた本ブログですが、汚泥と化したプライベートの数々の問題に足を取られ、まったく更新していませんでした。2回離婚。2度目の奥さんはお腹に子どもを身籠ったまま私のもとを去りました。その事実を受け入れることは本当に難しかったです。本ブログをはじめた当初は、これらドロドロの過去をあからさまに放尿するように書いてスッキリしようとしていましたが、羞恥心があってなかなか踏ん切りがつきませんでした。そうこうしているうちに現実世界で多くの友人たちが私の窮状を見かねて助け舟を出してくれ、錯綜していた事象を自分のなかでひとつずつ整理することができました。そういう意味では2016年は大きな変化が起きた時期でした。今年は離ればなれになった子どもに会うのが目標です。

一方、仕事ですが、これも全然うまくいってません。仕事内容、人間関係、両方ともダメ。信頼とか信用に程遠いと上司から揶揄されています。それでもヘラヘラ笑ってやってます。たぶん、相互理解は無理だと思っています。中二病っていうのでしょうか? べつにいいです。フリーライダーと言われたってかまいません。生活ありますから笑

ただ、こんなに腐ってても、やっぱり本読みはやめられません。よく自分がオピニオンないって言われますが、だからいろんなジャンルの本読むんだと思います。だって、オピニオンあったら濫読する必要ないでしょ笑

というわけで、このブログ、本の感想を書き留める目的で再開したいと思います。ないなりにもオピニオンを出して、なにか引っかかりを作ることができればうれしいです。

 

「屈託」について

 先日、テレビ朝日系ドラマ『氷の轍』(柴咲コウ主演)を見ててハッとなった。

 ドラマは北海道の釧路を舞台に、なんの関連もないと思われた2つの殺人事件が、過去の人間関係に収斂してゆくという良い意味で「型通り」の筋立てだったのだが、動機に「屈託」という言葉を使っていたのが引っ掛かった。

  なるほど、屈託ない、という言い回しは知っているが、「屈託」自体には注意を払ってなかった。ネット検索で引くと、以下のような意味であるらしい。

 

 1. ある事が気になってくよくよすること。
 2. 疲れてあきること。

 

たしかに、「トラウマ」などという心理学の用語より、すっと意味が入る。

 僕自身の「屈託」は間違いなく母親だ。いわゆる「毒親」で、自分の思い通りになるように疑心暗鬼を煽り、嘘をつき、誤魔化し、ひとを欺く。思い通りにならなければ、奇声を上げて、罵声を浴びせ、包丁を振り回す。それでも、母親だ、という倫理観にずっと苛まれてきた。

 でも、ずっと悩み続けていて、自分の人生が壊れる、生きる気力が奪われる、とふと気づくことができた。この10年というもの、僕自身だけでなく、僕の大事なひとにも人格否定を平気で繰り返し、それでも母親だから立てなければならない、と思うことにほとほとうんざりした。母親である前に人間として終わってるとようやく結論づけられた。

 ずっと苛まれている「屈託」を振り払うしか、これから先生きて行けないと思った。だから、もう母親とは縁を切ろうと思う。後向きな人生に付き合う必要なんてもうない。

混沌から秩序へー2月は不安定でした(一)

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五感

「感じる」と「分かる」の差というのは一般的に存在するものなのだろうか? 研究者にあるまじきことかもしれないが、僕は「感じる」瞬間を大事にしている。言葉とは、このぼんやりとした世界を切り取る道具であり、道具であるからには使えない状況もあるだろう。そういうとき、「人間」は「ヒト」になり、五感をフルに稼動させることになる。野生動物みたいに全方位に注意を払い、感覚を研ぎ澄ませてあらゆる情報を探知しようとする。だから、「動揺する」という事態に陥る。女性は勘が鋭いというが、そういうことだと思う。生物的にもそれは正しくて、女性の脳の活動領域は男性の2倍以上と言われている。つまり、ひとつの出来事に立ち会っても、女性のほうが男性より過剰に情報を取れてしまう。だから、不安定になり、「動揺する」のだろう。

高校の同級生

もう40歳になるが、なぜか高校の同級生とよくつるんでいる。だいたい10人前後、入れ替わり立ち替わり落ち合っては酒を酌み交わしている。だいたい週1回は高校の同級生のだれかと会っていろんな話をしている。よく考えると凄いと思う。社会に出て14年になる。紆余曲折はあるとはいえ、社会に自分の能力を還元して糊口を凌いでいる。だから、良い話も悪い話も出るわけで、ともすれば会社の価値観に雁字搦めになるアラフォーにとっては本当にありがたい。そのせいか、集まりは全然途切れない。

違和感

そのグループで、おかしくないか?と話題になるやつがいた。N は都内にある有名な国立の文系大学(ここまで書いたらだいたい分かる笑)を卒業したあと大手商社に就職。英語も中国語も自在に操る「できる男」としてみんなから見られていた。3年ほど中国に赴任していたが、2015年の春に帰国。それ以来、よく飲みに行くようになっていた。まあ、それなら普通だ。でも、7月になったころ、様子が変わる。土日もヒマだと言って、僕に頻繁に連絡を寄越すようになったのだ。それは変だった。N には家庭があり、小学生の息子が2人いた。週末は家族サービスするのが通常だと思って質問してみると、家族は奥さんの実家にしばらく戻るからヒマなのだという。なるほど、中国にいたから家族も疲れているのかもしれない。とりあえず、そう思うことにした。でも、違和感はこってり残った。

予感

SNS上に高校の同級生しか見れない非公開グループを作っていて、僕はそこで N とトレッキングに行ったり、飲みに行ったりしている写真を投稿していた。すると、ほかの同級生から、N は大丈夫か?という心配の声が上がりはじめた。僕自身もなん度も水を向けたがなしのつぶて。そこで、以前ここでも登場した T に頼むことにした。


T と N は小中高と一緒の幼馴染み、N の奥さんは T の大学の友達だ(いわゆるキューピッドってやつだ)。T は奥さんに直接連絡してみると約束してくれた。それがこの1月のこと。そして、1月末の会合を迎えることになった。

動揺

会合は中目黒の「はみ出るカルビ」で有名な焼肉店で持たれた。メンバーは6名。比較的良く集まるメンツだ。五月雨式に集合したので、他愛もないバカ話をしていたのだが、満を持して T が切り出した。
「N の奥さんと連絡取られへんのやけど、どうなってんねん、大丈夫なんか」
そのときはじめて N は言ったのだ。
「ギクシャクしてる」
その後はその話を深くすることなく、4軒ほどハシゴをし、帰れなくなった4名で雀荘で夜を明かすというアラフォーらしからぬ週末を過ごした。 N は終電で帰った。始発で部屋に戻り、放心状態で昼前に目覚めたが、なんだか動揺していた。理由は全然分からなかった。

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連絡

月曜日からなんだか心がザワついて仕事にあまり集中できない感じだったので、実験をやったり、単純な資料整理でやり過ごしていた。そんな水曜日、T から連絡が入った。
「今日にでも N と3人で会いたい」
来るものが来たと思った。

告白

場所は赤坂になった。20:30に T と合流。N の奥さんから連絡が来たという。
「もう修復不能や、N が離婚に応じへんと彼女は言うてる、今日はそれをたしかめたい」
もう7月から奥さんは実家に帰っているという。じつは、ちょうどそのころ、僕と T は、相談がある、と N から言われていた。
「あのときちゃんと話聞いとけば…」
T は涙を浮かべていた。
N は22:00ごろ合流した。居酒屋に個室に場所を変えて、T が単刀直入に離婚の件を切り出した。
「どこまで聞いた? 全部知ってるのか…」

つづく

「新宿」「映画」「インディヴィジュアル・プロジェクション」

春の嵐

2/12(金)は有休を取ったので4連休のその最終日。年末無理して働いたけど、体力が尽きてしまって、1月からあんまりパフォーマンスが向上しないので、思い切って休むことにした。旅行でもすればカッコも付くんだろうが、ピンと来るところもなく、有休入れたのになぜかその日飲み会が2つも企画されたので、ダラダラすることにした。ちょっとまえまではなにもしないことが怖かったけど、今回はリフレッシュできた。本当に僕のなかでなにかが変わってきたんだろうと思う。
東京では春一番が吹き荒れ、冬の寒気を蹴散らしてしまっている。今日は歯科に行った。年末、秋田からの出張帰りに歯石だけ除去してもらおうと思ったが、虫歯をたくさん発見されるという「あるあるパターン」でかれこれ2カ月ほど通っている。治療はいつまで続くんだろうか?

LiLiCo 効果

2/11(木)は保険会社勤務で単身赴任中の高校の同級生 O と、2/12(金)はこれまた高額な保険を売る心優しい K と大手商社マンの N の高校の同級生2人と外苑前のビストロでワインをそこそこ飲んだあと、内閣府にかなりの待遇で出向中の会社の元上司(というか、隔週でどんちゃん騒ぎしてるので、もはや年のかなり離れた飲み友達笑)と01:00までスナックでカラオケするというダメなおっさんの週末を過ごした。しかし、休みなのと、酒量がさほどいかなかったので、翌朝の目覚めは驚くほど良かった。土曜日は意外と『王様のブランチ』を視聴してる。とくに、LiLiCoさんの映画コーナーはかなり参考になる。そこで紹介された映画に一撃で魅了されてしまった。そして、2/13(土)に新宿まで見に行ってしまった。『ホテルコパン』という映画を。

シネマート新宿

ということで、21:00上映の回を狙って北上しました、新宿へ。スマホGPS 機能に頼りつつ、新宿3丁目の賑やかなあたりに来ると角川系のビルの6階と7階が映画館。チケット買って、ファミマで買ったお気に入りのプレミアムサンド食べながら開場を待っていると、いかにも映画好きそうなひとたちが集まってくる。10分前に会場に通されると、そこは傾斜のほぼない構造で100席弱のいかにも単館系。かつて淀屋橋と梅田の境にあったシネマアルゴを思い出した。といっても、キャメロン・ディアスが見たくて『ベリー・バッド・ウェディング』を1回こっきり見たかぎりですが笑

インディヴィジュアル・プロジェクション

単館系と聞くと、必ず思い出すのは、阿部和重の『インディヴィジュアル・プロジェクション』の主人公である映画技師のオヌマだ。彼の職場は渋谷だが、ここは新宿。なんにも関係ない。でも、不夜城たる新宿で『ホテルコパン』のような隠微な作品を見ると、冷笑的に行ってるあの作品を思い出す。オヌマは映写機を回しながらほくそ笑んでいる。世界は危機に瀕している。それを分かってないのはだれなんでしょう? 少なくとも社畜は分かってるよ、世界が終わるって。分かってないのはリア充のヴァーチャル住民だけだ。

新宿

正直、新宿は3回目だった。小雨が降ってた。
「生きてりゃ、1度ぐらい良いことある」
ホントそう思いたい。意見してるみんなはまだ若いから分からないだろう。人生は複雑だって。でも、みんな生きてるよ。簡単に死ねないから。だから、胸張って前向いて歩いていきゃ良いよ。

参考

カヴァー曲はお好きですか?

はてな」のお題に触発されて

おそらく「はてな」の「お題スロットル」のなかに入っていたのかもしれないが、「私を作った9枚」みたいなタイトルで音楽のアルバムを挙げてるひとたちがいた。僕は音楽を聴くのが好きだ。邦楽はほぼ聴かない。ほとんど洋楽だ。いっときいろんなアルバムを相当収集したこともある。残念ながら楽器は弾けない。若いとき、勇気を持って挑戦すればよかった。

はじめて買ったアルバム

ダウンロードで音楽を落として買うようになったいま、「アルバムを買う」という響き自体がレトロなのかもしれない。少なくとも、僕の時代には「アルバムを買う」のは普通だったし、「アルバム」という作品から切り離された「シングル」カットされた曲のみを偏重して聴くのは邪道と見なされるような雰囲気が洋楽好きの間では共有されていた(捨て曲ナシ!などという宣伝文句も昔のものですね笑)。そんななか、僕がはじめて買ったアルバムが Mr. Big の『Bump Ahead』だった。選択した理由は簡単。伊藤政則がラジオで劇押ししててヘヴィロテされていたからです笑

1. Wild World

そのアルバムのなかでとりわけよく聞いたのが「Wild World」という曲だった。哀愁漂うストリングが掻き鳴らされるバラードで、こんなふうに上手く歌えたら気持ち良いよなぁ、と無意味に嫉妬していました笑 どれどれ、伊藤政則のライナーノーツを読んでみると、なんとこれがカヴァー曲だったのだ。
我らが Wikipedia によると「ポピュラー音楽の分野で、他人が発表した曲を演奏・歌唱して発表することである」と説明されている。「Wild World 」はもともと Jimmy Cliff が歌うレゲエ調の曲だったが、Cat Stevens がストリングス主体の編曲でカヴァーした。Mr. Big は Cat Stevens ヴァージョンをカヴァーしていたという遍歴が分かってきた。
「面白い!」
それ以来、カヴァー曲に魅かれるようになった。

Bump Ahead

Bump Ahead

2. Stone Cold Crazy

当時、絶大なる人気を誇った Thrash Metal の雄である Metallica がカヴァーアルバムを出した! そのなかでもっとも名高かったのがグラミー賞に輝いた「Stone Cold Crazy」である。この Queen のカヴァー曲の何がスゴイかというと、尺は寸分たがわずコピーされているが、まったく違う曲に聞こえる、という点だ。Metallica の技術はスゲーと素人ながら戦慄したのを覚えている。

Garage Inc.

Garage Inc.

3. Wuthering Heights

恋のから騒ぎ』というバラエティ番組のオープニングで使われた Kate Bush のキンキンの曲を、これまたハイトーンボイスで鳴らしたブラジルの Thrash Metal バンド Angra の Andre Matos がカヴァー曲にしてしまったところ、こっちの方が全然良かったという奇跡。Kate Bush はこの曲を持ち込んでデヴューを勝ち取ったというが、美貌も大きく寄与したのではと囁かれている笑 Andre Matos がもうちょいイケメンだったら Angra もブレークしたのではと思わざるをえない…。

Angels Cry

Angels Cry

4. Your Love

どんどん深くなっていきます笑
どこかノー天気でバブルの雰囲気漂うスローテンポの The Outfield のナンバーをデンバー出身のパンクバンド The Gamits がパンチを効かせてカヴァーしている。カヴァー曲の方が断然良い笑 そういえば Katy Perry もカヴァーしていたような…。

ANTIDOTE

ANTIDOTE

5. A Thousand Miles

ここまでついてこれるひとは本当に洋楽好きです笑
Vanessa Carlton のピアノが美しいバラードをイタリアのパンクバンドの Vanilla Sky がスタジオの臨場感溢れる演奏でカヴァー。おそらく、たくさん聴いてきたなかで、このカヴァー曲が一番素晴らしく、僕のなかでは原曲を越えている。ジャケットはダサイですが、もしどこかで見かけたら手に取ってみてはどうだろうか。ちなみに Vanilla Sky もこのカヴァー曲には手応えがあるらしくカヴァーアルバムとして編まれた『Punk Is Dead』のなかで新たなヴァージョンを吹き込んでいる。

A Thousand Miles

A Thousand Miles

まとめ

ご紹介した以外にも素晴らしいカヴァー曲はたくさんあると思うが、なかなか原曲を越えた!と思えるテイクは現れないように思う。邦楽の場合、カヴァー曲というよりはコピー曲が多い気がしている。ひとえに解釈し、咀嚼し、再構築するという意識や能力が低いせいだと思う。そのなかで桑田佳祐が『愛の讃歌』をカヴァーしたときは「このひとホンマにスゴイんやな」と思った。他のひとにも奮起を祈るばかりだ。

長くなりました( ̄▽ ̄)

「穢れ」について

はじめに

けっこう本を読むのは好きな方だが、小野不由美は未体験だ。彼女の旦那さんが綾辻行人なのを知って、へぇーと思ったことはある。浪人生から新社会人のころまで、どっぷり島田荘司にハマっていたので、本格ミステリーにはそれなりに親和性があるのだが、ホラーだけに忌避してしまっていた笑
それが、なんとなく点けた『王様のブランチ』の映画紹介コーナーで彼女の作品の映像化が特集されていて、そのコンセプトに考えさせられたのだ。
 

「穢れ」の感覚的に共感できます

『王様のブランチ』での内容紹介によると、建築学科の女子大生が借りた部屋で心霊現象が起きる。はじめは「事故物件」だと疑ったが、そうではないらしい。よくよく聞くと、その心霊現象は女子大生の部屋に留まらず、彼女が住んでいる賃貸マンション全体で確認されているらしい。その相談を(なぜか)受けた女流作家が原因究明に乗り出す。その地所の由来を紐解いて行くと、100年以上前から「不幸」な出来事が住人を襲っているという…。
このプロットを一読して、けっこう多くの日本人が頷くのではないだろうか? 20年以上前に一世を風靡した鈴木光司『リング』もまったく同じ。「穢れ」が染み付いていて、そのせいで末代まで祟られる。これは古臭い考えだろうか? 『残穢』にしろ『リング』にしろ、僕が物語のコンセプトを即座に理解できるところを考えると、文化として「穢れ」が生きている証拠のような気がする。

「穢れ」は日本の文化

吉本隆明は『共同幻想論』で「穢れ」が日本の文化のベースラインを奏でていると見抜いた。丸山真男が『現代政治の思想と行動』で抉り出した「無責任体制」というモデルと並んでとっても分かりやすい観念だが、吉本隆明がスゴイのは古典の精読からそれを探り当てたところだ(しかも、吉本隆明東京工業大学出身の理系だ)。そういう観点からすると、吉本隆明小林秀雄の正統な後継者だった。
ウンチクはこれぐらいにして笑、「穢れ」っていまでも残っている。例えば、日本人の新築好き。おそらく『残穢』と同じような禁忌があるからだ。転職がそれなりに増えたとはいえ、入口は必ず新卒一斉採用というのもそうかもしれない。「道を正す」という考え方もそう。そういうときの「正道」はなんかシャーマニズム的というか「神道」に繋がっている。一度「正道」から外れると、その者を執拗かつ徹底的に誹謗しなぶる、まるで「正道」を唱える者が神であるかのように。ファナティックかつヒステリックに。自由主義と合理主義が行き渡った現代ですら、こういう考え方をするひとはたくさんいる。おそらく老若男女問わない。

「穢れ」は「異端」なのか

結論から言うと「穢れ」は「異端」ではない。ハワード・S・ベッカー『アウトサイダーズ』を援用するまでもなく、「異端者」はラベルされるが社会的に認識される。それに対して「穢れ」るとそのひとは「ひと」でなくなる。人権を奪うことをヨシとされる。程度の差はあると思う。でも、日本の文化ではこういう感覚は容認される。恐ろしいことだ。

「穢れ」を怖れる

「穢れ」は過去をずっと引きずる観念だ。「人間は変わらない」ことを前提に置いている。だから「穢れ」はずっと消えない。でも、そんなことありえない。人間は成長する存在だ。「過ちを繰り返す」と決めつけるひとたちはなにを怖れているのだろうか? 犯罪行為は言語道断だ。しかし、意見の相違を「反乱」とラベリングして「過ち」と表現して「こいつは穢れてる」と指弾しつづけるひとたちはいったいなにを怖れてるんだろう。また別の機会に考えてみたい。とりあえず『残穢』は読んでみます笑

参考文献

残穢 (新潮文庫)

残穢 (新潮文庫)

改訂新版 共同幻想論 (角川ソフィア文庫)

改訂新版 共同幻想論 (角川ソフィア文庫)

〔新装版〕 現代政治の思想と行動

〔新装版〕 現代政治の思想と行動

完訳 アウトサイダーズ

完訳 アウトサイダーズ